被害者意識を手放す

実は私たちにとって、一番難しい事。それは被害者意識を手放す事なのかも知れません。

私が昔、スイス研修に一年間行っていた事は前にも書いた事があるような気がするけど、
その時の事をちょっと書かせて下さい。

22、3歳で大学を休学して、一年間スイスの農家に住み込んで一緒に生活して、スイスの農家の生活を学ぶという物でした。
海外に憧れていて、スイスに憧れていた私は、スイスの農家、古き良き生活スタイルという物を体験できると、人生の大決断をして、学校休学しての参加を決意した事でした。

それまでは親元を離れた事も無く、海外へ行った事も無く。

無事、研修プログラムに参加する試験にも通り、国内研修も終わり、いよいよスイスへ。

最初の一ヶ月は、語学研修という事で、本派遣とは違う農家に受け入れてもらって、そこから語学学校に通います。
そこでの生活は、これぞ、憧れのスイスって感じの生活。60代のおじいちゃん、おばあちゃんが息子夫婦と営んでいる小さな町の農家で、酪農と、ぶどう農園をやっている所でした。

おばあちゃんが、て捏ねのパンを焼き、チーズを作り、10時と3時には手作りのお菓子と、絞り立てのミルクと、コーヒーでお茶をするのが日課。夫婦がとても温かくて、おばあちゃんのたなの中はレシピ本で良い感じにごっちゃで。

すべてに歴史があって、すべてに味があって。

そんな素晴らしい農家に入る事が出来ました。

夕飯後には、おじいちゃんと、おばあちゃんと一緒に、日本の事、スイスの事話せるだけのドイツ語を使って夜遅くまで話し、とても大切に温かくしてくれました。

私の、スイスの農家というイメージそのものだった、そこの農家から、1ヶ月して、語学研修期間が終わって、それから12ヶ月お世話になる、農家へと配属されました。

待ち合わせの場所に、向かえにきていたのは、私よりも年齢が5歳くらい上の、サングラスかけて、おしゃれな格好している金髪の女性。

彼女が、これからお世話になる農家の、奥さんPiaでした。

彼女の様子から想像できるように、私の想像してたスイスの農家とは、対照的な、現代的な若い夫婦の所へ配属されたのでした。

研修生には、それなりに優しくはしてくれるけど、食事中にゆっくり話すってことも無く、食後はさっさと子供は寝かせられるし、夫婦は寝室へ入ってしまう。私は夜7時位から、もうする事が無くなる状態。

え??、あの、温かいスイスの農家を求めてきてたのに、ここはなに?これって何?

日に日に、私の不満は、募っていきました。自分とほとんど年の変わらない奥さんに、「Keiko,じゃあ、今日は、あれとこれと、これしておいてね」っていわれて、奥さんはおしゃれして出て行ってしまう。
私がイメージしていたのは、家族の中で一緒に農作業したり、一緒にたのしい時間過ごしたり、、、
これじゃあ、ただの労働者だ。
それに、料理だって、彼女は、母の味っていうより、きれいな料理本揃えて、その中のレシピをレシピ通りに作る。
このレシピで作っておいてって、言って、出かけていく。

私は一体何を学びにきたのだろう。。。
どうして私だけ、こんな農家に配属されてしまったんだろう。
研修仲間の話を聞いていたら、そういう風にさえ思っていました。

もう、完全に被害者意識でした。

研修仲間と集まった時に、私の文句をいろいろと、言っていたんだとおもいます。
でもね、すごく良い仲間に恵まれていました。
仲間のうちの一人が、「恵子、そんなに、いやなら、農家を変えてもらうってことも出来るんじゃないの?自分が本当にどうしたいか、考えた方が良いよ。そして、ちゃんと自分の気持ちを農家の人にも伝えた方が良いよ」とある日、言ってくれたのです。

はっきり言って、どきりとしました。

自分でどうやって、この事を良い方向に持っていこうかって言う意識がその時の私には無くって、「どうして、わざわざ学校休学してきているのに、こんな農家に配属されているのだろう、」「どうして、あの人達は、そんなスタイルの農家なのだろうか」、「スイスの農家なのに、どうして、どうして」、って、グルグル文句を考えているだけでした。

友人の言葉を受けてから、

そこからはじめて私は、文句を言っているだけという状態から、自分で責任を取る形で、この状況を私はどうしたいんだろうってふうに考え始めた気がします。

文句言っているだけ、こういう状況にいて、私はなんて不幸なんだろうって言うのは、言っているその時の気晴らしにはなる、でも、何の解決にもならない。

それから数日して、はじめて私は自分の気持ちを農家の夫婦に話をする事を決意しました。

ドイツ語もほとんど話せないのだけど、言いたい事を辞書で調べて、一応文章にしてから、夫婦が入っている寝室を夜ノックしました。

怪訝そうに、奥さんの方が顔をのぞかせて、「何?」って言うので、「ちょっと話があるので、聞いて欲しいのです」とやっとの思いで伝えました。

寝間着にガウン羽織った姿で、夫婦が揃ってくれて、テーブルに私の前に座って、一体この子は何の話をしようとしているのかって、真剣な顔をしていました。

しどろもどろで伝えたい事を伝えました、この農家は希望していた農家の感じとは違ったんだって事を伝えたつもりでした。ドイツ語ももっと上手になりたいのに、家族とのふれあいが少なくて、全然上手になれないのが悲しいとも言ったつもりでした。

で、結果的に、私が伝えたい事はドイツ語の問題で全然伝わらなかった。笑

でも、この子は、何かを一生懸命に伝えたいようだ、何かをしたいようだ、という気迫だけは伝わり、彼らが私の研修生活がもっと充実した物になるようにと、考え始めてくれました。

結局、他の研修生の中には、そんな事をさせてもらえている人はいなかったような事なのですが、週に一回、夜間に、語学学校に行かせてくれるって事になったのです。授業料を払ってくれるという話でした。

私の前年に入っていた研修生はとてもおとなしい人だったらしくって、自分の方から、家族との時間を持とうとしない人だったとかで、受け入れ家族側も、私がどんな性格なのか、日本人ってみんな、前年の研修生みたいな性格なのかって思っていたようでした。

それから、そこの奥さんPiaとも、色々な話をするようにもなりました。

私の事を、「Keikoはあっち行け!」って、バカにしていた3、4歳の子供達とも、かけがえの無い関係を作る事が出来ました。

こんな研修先に配属されて、なんて私はついてないんだろう、って思いはいつの間にか抱かないようになっていました。

最終的には、すごく良い関係でそこの1年間の研修生活を終えたのですが、

もし、あの時に、私が被害者意識のままでいたら、全然 得られていた物が得られないまま終わった1年になっていただろうと思います。

被害者であるという感覚、私ってなんて可哀想なんだろうって言う悲劇のヒロインでいることを手放し、

この事から、私はどう出来るか?って能動的になる事、喜劇のヒロインでいようとする事で、事態は良い方向に展開していくように思います。

悲観しているだけ、私って可哀想って思うだけ、文句言っているけだけ、そこからは、何も生まれない。
それが、今、目の前にある事なら、それなら私はどうしていきたいか?

それが見えなかった扉が見えて、さらに前進するためには、とっても必要な事だと今は思っています。
by pineheath | 2013-01-29 11:29 | ホリスティックヘルス

自分の信じこみを書き換えて、欲しい現実を生きる方法♡


by Keiko
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