人生は、遊びである
2013年 03月 04日
だから、起こる事に対して悲観するというより、そこから何を次にクリエイトするのかって、考える事が大事。お友達から、おもちゃを取られたって、そこで泣いて、遊ぶのを止めてしまったら、もう、面白くないもん。おもちゃが無いなら、おもちゃを作ろう!みたいな発想を持ってきて、作ってみる、やってみる。そこからまた、それ面白そうって言ってくれる仲間が現れるかもしれないし、おもちゃの大発明が起こるかもしれない。
遊びの場として、皆色んな条件を与えられている所からスタートしてて、時には、作ったおもちゃ、手にしたおもちゃすべてが次々取られたり、こわれたりする事を経験して、もう、遊ぶのなんていやだって、思うのかもしれないけど、でも、そんな人は、きっと、たくさんおもちゃを取られたり、こわれたりした経験が糧になって、もっといいおもちゃが作れるポテンシャルがあるって言う事なんだと思う。
それなのに、どうせ、私は作ったっておもちゃ壊れるし、取られるし、って思いながらやっていると、案の定、意地悪っこがやってきて、作ったばかりのおもちゃをぐしゃって壊して行っちゃったりして、あああ、やっぱりいいいい、みたいな。
でも、「僕は、絶対に最高に楽しく遊ぶんだ〜!!!」って、思っていたら、壊されるおもちゃ、取られるおもちゃじゃないようなおもちゃ、例えば、空想ゲーム(なんじゃそりゃ、だけど)で、最高に楽しく遊ぶようになるかもしれないし、そして、それは、こわれも、取られもしないから、皆にシェアーできて、皆を巻き込んで楽しく遊べる輪が広がって。
ね、そこまで来たら、たくさん壊れて、たくさん取られた経験も、必要だったんだなーって、思えるのですよね。
それをするには、絶対、楽しく遊ぶぞ!何があっても楽しく遊ぶぞ!!って、決める事だけが必要なのかもしれません。
「〇〇ちゃんとだったら、楽しく遊ぶ。」
「このおもちゃが手に入ったら楽しく遊ぶ。」
そうやって条件づけして、楽しく遊べるチャンスを制限しているのは、私たちなんですよね〜。
実は、沢山、道は用意されていて、実は沢山やり方はあって、如何様にも生きられる。
それ位の柔軟性と、クリエイティブさと、根性と、おおらかさと、成り行きを信じる力と、そんなのがあったら、私たちって、ずっと楽になるのですよね。
絶対楽しく遊ぶぞ〜!!!お〜〜って、思った夜でした♪