自分のドラマが好きですか?

このごろ思うのは、どんな自分でも、それで良い、楽しめている限りはねーって事です。

スピリチュアル流行で、『癒されているとは?』、『満たされているとは?』、『愛とは?』、って完全な形はこれですよっていう教科書的に思える物が流通している感じになってきました。

で、それは、そうなんだけど、本当に、その通りなんだけど、表面に、人間臭い自分が出て来たって、それはそれでいいんじゃない?
人間臭い自分であってもいいんじゃないのかって思います。
所詮、私たちは人間なので、パーフェクトになんかなれないのですよね。だから、パーフェクトじゃない事を、ダメダメだって思う必要もなくって、少しずつでも、成長していっているって事だけが大切な気がします。

一般的に、ダメって思える事でも、そんな自分でオッケイと思う。癒されていない所がある自分でもオッケイ。素直に言えない自分でもオッケイ。甘えれない自分でもオッケイ。尽くしてしまう自分でもオッケイ。夫、ボーイフレンドに対して母親みたいになってしまう自分でもオッケイ。子供にイラッと来てしまう自分でもオッケイ。
泣きたい時に泣けない自分でもオッケイ。嫌って言えない自分でもオッケイ。人に合わせてしまう自分でもオッケイ。

どっちにしろ、人は美しいなって思います。

天真爛漫でも美しいけど、上手く天真爛漫にできないひとだって美しいって思います。

そこにドラマがあっても美しいって思う。

だって、その人はドラマを楽しみたいんだから。

楽しんでいる内は、そのドラマを演じる事を手放せないんだとおもうし。もうね、オエーって思うまで、そのドラマを楽しんだら良いんだと思う。

ただ、そのドラマを楽しめているなら、、、その限りはね、ってことだと思います。

。。。。。。。


人はドラマが好き。だから、映画も、楽しむ事ができる。

映画やドラマは自分の根底が安定した気持ちで見るから、悲しいストーリーでも感情移入したって楽しめる訳で、自分の人生が根底から、そのドラマになってしまって、もっていかれたら、ただ、ただ、苦しいだけですよね。

潜在意識って面白くって、ある所までは、それを経験したくって、そうしているんじゃないのかって思います。つまり、顕在意識で辛い、嫌だと思っていても、潜在意識的には、楽しんでいる。っていうか、それを選択しているってこと。そんなうちは、変わらない。でもね、それが、いいかげんしてくると、オエーっ。もうこんな自分嫌だー!って、底打ちになってくるんですよね。で、そのドラマを心底変えたくなる。
そうなったら、それが、ベストなタイミング。魂の叫びが聞こえた瞬間です。魂は、こんなドラマなんて、演じてる自分でいたくなかった!って気がつくときなのです。

そして、「自分が演じるドラマを変えたい!!!!!!」ってそうやって心底思えたら、あとは、行動するのみなのです。

私たちの根底は、いつだって、愛の状態で安定しているのです。実際の表面では、どんなに、しんどいときでも、誰かに対して意地悪しているときでも。

根底の自分は安定していたんだって事さえ、長いあいだ、そこに戻らなかったら忘れてしまってて、「自分って、ダメダメな自分なんだ」って思う事が、当たり前になってしまっていたりしますよね。
でも、そんなの本当じゃなくて、根底には、表面で泣いているその時だって、ずっとずっと安定した愛の状態だったんだって、そうわかると、一見、癒されてなくて、素直になれなくて、甘えれなくて、ダメダメで、怒ってばかりで、泣いてばかりで、傷ついてばかりで、、って、そんな自分は、根底の自分じゃなくて、そういう枝葉がでてしまっているだけって事がわかって来るのです。

要は環境で、そうなっただけだったって。

で、その枝葉がでてしまう環境を受け入れていたのは自分だって事に気がつけば、その環境を受け入れないってチョイスをするのは自分の責任だったんだってわかる。

だって、私たちは、その環境から動けない『植物』じゃないんだから。私たちは、動ける『動物』なんだから。

この環境のせいで、自分は、このドラマを演じるしか無いんだ!!って、環境に文句を言っているうちは、その環境に身を置く事を選んでいる『自分』に責任を持っていないので、演じているドラマは変わりません。

笑って、幸せで、楽しんで、喜んでいる自分のドラマを枝葉として出すための環境に自分を置く事を選ぶように動いてはじめて、嫌なドラマから、求めているドラマへ変化させる事ができるのです。。

今、悲しみのどつぼにはまっている人、逆境に苦しんでいる人、なんで自分ばっかりっ!!って怒りが湧いている人、その自分が登場しているドラマを辞めたかったら、自分が見たいドラマを見るために、『自分』でチャンネルを変えるって事が必要。
チャンネル変えるためには、「このドラマ嫌だ」って、決めて、「チャンネルを変える」って行動をすること。その二つの事無しには、違うドラマに変える事なんか、できないのです。

そう、そして、実際的には、「チャンネルを変える」行動っていうのは、どっかりソファーに寝転がっているcomfortable な状態から、体をよいしょと起こして、動かないと変えれないのです。

そして、その動くってことについてですが、見たいドラマを見る為に「これをしてみたい♡」という、ふわふわした感じより、もっと、なんか、「これをしなきゃ!!」って、切羽詰まる感じ(他が見えていない感じ)で思う事をする事なのかなーって思います。
それは、多くの場合、やりやすい快適な物ではないのかもしれない。でも、なんか、これをなんかやりたいんだ!頭で考えると大変かもしれないって事はわかっているけど、←というか、頭ではもはや考えていない)、って感じの事だったり。
快適ゾーンから抜ける事を腹の底で決めていないと、そのアクションは起こせないのかもしれません。
でも、それが、魂が求める事なら、快適ゾーンを抜けてチャレンジしていく中で、必ず、サポートされる状況が起こるのです。
目の前のオセロが一枚ずつ黒から白に変わっていくみたいに。
沢山は与えられないけど、次の一歩を進めるだけのギリギリの何かが与えられるのです。

その、道中は、楽ではないと思います。でも、生きているっていう充実感は半端無くって、しんどいけど、これを経験したかったっていう感情を沢山経験して、そして、気がついたらチャンネルが変わっていたって感じ。
変わったチャンネルの事を経験したかったんだけど、そこに至る行程そのものを経験したかったんだって、後になったらわかるのです。

行程の中で、沢山のシンクロニシティー、何かからサポートされている感じを受けるんだけど、
そんなシンクロニシティーというか、フローティングを得るためには、そこに全力で、本気で向かう事を覚悟できてる自分のあり方が根底に求められます。

変化に対して、本気になれないって思うなら、それは、まだ、そのタイミングじゃないのかも。
チャンネル変えるべきだって、自分の本音ではなく、それがきっと世間的に良い事だからって思ってしまっている(魂から求めている事じゃない場合)と、魂が本当に求めている事だけども、(トラウマからの)怖れがあり過ぎて本気になれない、って場合と。

前者の場合は、世の中的にどう言われていようと、自分がそれをしていたいならそれでいいんだって、ダメを嘆いている自分で良いって今の自分を受け入れる事。後者の場合はその怖れと向きあう時間がまずは必要なのかもしれません。でも、アクションを起こす事からしか、その怖れと向き合うって事ができないので、小さなアクションでも良いから起こしていくと、一つずつ垣根が取り除かれていく事だと思います。

あなたは、あなたのドラマを続けたいですか?

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お知らせ☆
IH ファウンデーションクラス、8月12、17を予定していますが、17日ご希望で調整中の方が多く、その方達をカウントするとほぼ定員です、12日はまだ余裕があります〜

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by pineheath | 2016-07-26 14:29 | ホリスティックヘルス | Trackback | Comments(0)
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