空気読まずに自分の話しをべらべらする人

空気読まずに自分の話しをべらべらする人

こういう人に対して、どうして、そうなんだろう?普通わかるやろ?って思っていました。普通、その話しが相手に喜ばれているかとか、感じるはずだよねー普通、相手の事考えて話すよねーとか、

そういう、こっちの気持ちを考えない行動する人がダメだってレッテル張ってました。

でも、やっと、気がつきました。

私が楽しんでいないにもかかわらず、お構いなしで自分の話しをべらべらする人、その人が空気読めてなくて”ダメな人”なのではなくて、楽しんで聞けていないのに、”我慢して聞いている私”が違ったのです。
それまでは、自分が我慢しているのって、相手のせいだとばかり思っていた。でも、我慢しているのは、ただ自分が我慢しているからなのですよね。

「だって、私が我慢しなかったら、あの人は〇〇だし、〜〜だし、、」って言い分けが次々出てくる事でしょう。
でも、それでさえ、自分をきちんと表現するその場面に自分が居合わせたくない、っていう『逃げ』とか、『くさいものに蓋』の心理だったりする。

相手がどう出ようと、自分が感じる事は自分がちゃんと受け止めてあげて、それを自分が表現する事で、自分の幸せの責任を自分が取る事って、すごく大切だなって思います。

自分のご機嫌だけ取ることが、私たちが人間としてやらなければいけない究極の事なきがします。
そうやって、我慢して、人の話し聞いて、不機嫌になるから、ついつい、自分のご機嫌を人に取ってもらいたくなる。

「その話し、私興味なーい♡」って言って、自分にあくまでもまっすぐに対応していたら、我慢して、変なストレス蓄積させて、それを誰かに癒してもらわなければならないって負の循環にはならなくて済むのです。

自己犠牲の精神が美しいと信じられて来た時代があったと思います。
でも、それでは、負のエネルギー循環しか起こらないって事に気がついて来た人は多いと思う。
相手が幸せだったら、自分は大丈夫っていう心理状態って結局は誰の事も幸せになんか出来ないのだと今は思う。
「お前を幸せにするために、おまえのお母さんはどれだけ苦労した事か」って人から言われて、(または自分がそれを認識していて)自分の幸せを心から喜べる人っているはずがないと思う。自分が幸せと思うと、それには、必ず罪悪感がつきまとう事になると思う。
そして、その罪悪感に押しつぶされそうになって、「誰が頼んだなんだよ!!!勝手にそうしたのはお前だろう!!!」って言いたくなるんだと思う。
結局、何かにも書いてあったけど、『自分を犠牲にしながら誰かを幸せにしようとしても、帰ってくるのは、ネガティブなものになってしまう』というのは、エネルギー的に考えてもその通りだと思う。

だから、自己を満足させて、満足させて、そして溢れ出るエネルギーで他の人を幸せにしようって循環方法ではじめて皆が幸せになる事が出来るんだとおもう。

常々そういう事思っているのに、誰かの話しを聞くって事に関しては、その循環が出来てなかったな〜って気がつきました。私がやってたのは自己犠牲の負の循環だったなー。

セッションだとヒーリングのサーキットの中で話しを聞いているから、私のエネルギーを使って聞いていないので、疲れない。
でも、セッション以外で、興味ないな〜〜ッて思いながら聞くと疲れる理由って、そういう事だったんだな、ってこのごろ思います。

問題って、握りしめているって事に気がつかない事が問題であって、それに気がつけたら、それを握っているか、手放すかは、自分の選択出来る事になるんですよね。

私の場合、この問題握りしめていたって事に気がつけたので、あとは手放すのみ♡ チャレンジです♪
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by pineheath | 2016-08-24 15:08 | ホリスティックヘルス | Trackback | Comments(0)
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