全部が自分である事について

目の前の人も、自分とトラブルになっている相手も、すべてが自分なんだった。

今までは、自分と他者と分けていて、いつも自分は自分の内側にしか存在しなかったのだけど、そうではなくて、相手は自分でもある、というか、相手は自分の中の一部なのだったという事がわかった。

だから、目の前の相手が気に入らない事を自分にしたとして、それに対応するやり方として、色々方向があるわけだけど、『それを自分がしたらそんな自分に自分はどうする?』ってことを感じればしっくり来る答えが出る。


間違っている事を認識しといて、そんな自分に蓋をするのか、それとも逆に、立ち上がれないくらいにコテンパンに自虐的に自分をおとしめるのか、、、


いや、私が自分にしたい解決法は、それは間違っているって、ちゃんと間違いを見るけど、愛を持って正しい道を自分が取れるよう対応したいんだなって思う。

目の前に山積みされた洗濯物一枚一枚でさえ自分である感覚がわかってしまったので、洗濯物もたためば済むものではなくて、気持ちこめて、きれいに畳んでもらえて気持ちがいいと思うって事が、洗濯物になって感じてしまった。

泣いている子供に対しても、子供が泣いているっていう親からの目線ではなくて、まるで私が子供側に存在して、親(私)にどうして欲しい気持ちなのか、わかってしまって、その時には、私は私側には居なくて、子供側に居る。ぎゅーってしてもらいたい気持ちが満たされてすごく喜びに変わる感じも感じる事が出来る。

自分って、自分の中にだけ居るんじゃなくて、相手にも、ものにも、そして、その間を生める空間にも居るんだって事がわかると、自分がネガティブを外に出すと、自分の外側がそれに暴露されて、結局、外側も自分だから、自分が暴露されているんだなーってわかった。

オホノポノでそういう事言ってたような気がするけど、そういう事だったんダーーー!!!って、感覚としてわかると、オポノポノで言う「ありがとう、ごめんなさい、許してください、愛しています」って唱えるってそういう事。


←って記事をちょっと前に書いてたんだけど、ここ数日、どこでも、かしこでも、オポノポノというキーワードに出くわすようになって、あ、あの記事アップしろって事かなと思ってアップしてみる。


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by pineheath | 2016-09-02 16:21 | ホリスティックヘルス | Trackback | Comments(0)
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