子供がいると、もう、とめどなく、すぐに汚くなります。
あースッキリした!♪♪って思うのもつかの間、子供が保育園から帰ってきたら、ものの30分で雑然とした家になってしまう。
別に、汚されることに、ストレスは感じないのですが、片付ける時間、手間がどうにももったいない、、、
自分がやりたいことも、てんこ盛りにあるのに、掃除なんか、しなくっても死にはしないし、掃除に追われるのは嫌だ!!って、掃除嫌だ状態に陥っていました。
そうすると、次から次に、何かが溜まっていって、さらに、これをスッキリさせるには、馬力がいるなあ、って状態に。
そうすると、今、こんなことにエネルギー使いたくない、後回し、後回し、、、って、後回しにして、子供が帰ってくる頃に、うわーって、夕飯の準備から、掃除から一気に片付ける(でも、もちろん、追いつかない)ってことをやっていました。
そんなこんなな時、4月、新学期が始まってから、3歳の娘が「保育園行きたくない」様子になってきていました。
最初は、グズグズする。あんなに大好きだった保育園だったのだけど、なんか、グズグズして、気が進まない様子。
そして、それがだんだんと、口に出して「行きたくない」というようになってきました。
私はといえば、子供が保育園行きたくないのは、
新学期で、保育園組さんから、幼稚園組さんになって、色々自分で用意しなければいけないことが増えたからかしら?。
とか、
新米の先生で、色々行き届かないところがあるせいかしら?
とか、
友達とうまく遊べていないのかしら?
とか、
外に、原因を見つけようとしていました。
で、あれが悪いんじゃないのか?これのせいじゃないのか?って、外の何が悪いのか?に意識が向いていました。
そして、自分はといえば、忙しさに忙殺されて、とにかく、あくせくしている。
掃除する時間も、勿体無いと思う。
もちろん、子供が保育園から帰ってきた後は子供に向き合うようにはしているけど、心のベースが忙殺されている状態。
そんな折、はたと気がついたのです。
自分には、どれだけ感謝がなくなっているのか、ということを。
こんなに、素晴らしい環境に生きているのに、自分は何を見て、あー足りない、足りない、ってあくせくしているんだろう?って。
私が引き寄せていたものは、足りないって思うから足りない現実なんじゃないか!そんな当たり前のことなんじゃん!って。
そうやって、自分を反省してみると、ちょっと前まで、あんなに面倒で嫌だった掃除が、大切なものを大切だって示す行為なのだった!って、当たり前のことがわかるし、その行為そのものが大切に思えてくるのです。
どちらからものを見るか?で、自分のありようが変わるし、有りようが変われば、ストレスだったことは、完全にストレスじゃなくなるんだな〜なんて、思ったわけです。
そんなことに改めて気が付いた後、娘の同級生のAちゃんも、家のみこちゃん同様4月から保育園が嫌になったのだということを聞きました。
夜に、娘に、「みこちゃん?Aちゃんも保育園生きたくないって言ってはるんやて。」と伝えて見ました。
そしたら、みこちゃんは、この頃、「保育園なんで嫌なの?」と私が聞いて、そのことについて会話をするのは、とっても嫌がっていたのですが、その時だけは「え?そうなん?」って、顔色を変えて、私がいうことを聞いていました。
そして、今朝。
私は、いつもよりちょっと早めに起きて、娘が起きてくる前に、日曜日大いに遊んだ後を片付けて、朝食の用意を終わらせました。そして、起きてくる娘を笑顔で迎えました。
娘は、一度も、「保育園行きたくない」とは言わず、ご機嫌に朝ごはん食べて、銀歯が取れて歯医者に行くというパパに「頑張ってね〜」といい、保育園にご機嫌に向かう様子。
保育園に向かう車の中で、娘が、「〇〇先生(担任の先生)が△△したらいかんっていわはったねん。」
っていうので、
私が、「そっかー先生△△したらいかんっていわはったの?」
と少し、『先生はそんなだから、保育園に行くのが嫌なの?』という気持ちを込めて聞き返すと、
娘は
「先生は△△したらいかんっていわはるけど、みこちゃんは○○先生が好きやねん」っていうのです。
ドキッとしました。
娘は、親の会話とか知っていて、一生懸命先生が保育園行きたくないことの原因ではないということを伝えようとしているんだなあ〜って思ったのです。
なので、「そっかー。」
と答えて、
「ママはみこちゃんが保育園楽しかったらいいなーって思うよ。」って言ったら、
みこちゃんは「うん、A ちゃんもね。」
と、昨日お話ししたお友達のことを言っていました。
そして、保育園に着いて、自分で歩く!と言って、自分でスタスタ教室の方へ。いつものグズグズもなくって、行きたくないもなくって。
担任の先生は教室前に出てきてくれて、「みこちゃーん!!」って両手を広げて待ち構えてくれて、みこちゃんは元気に先生の胸に飛び込んで行きました。
子供は、母親に何か気づかせるために、何かをやったりするって話は、金城先生もよく言っていることだったけど、私が忙殺されていること、感謝ができていないこと、そのことを娘は教えてくれていたのだなあって気がつきました。
掃除は感謝の表れって、そういうことだったのだな〜なんて、腑に落ちる出来事でした。
そして、当たり前を感謝することで、感謝の状況が生まれてくるんだなーって改めて思いました。
話変わって、アメリカの14歳のAちゃん、学校での学年全員で、校長先生への抗議運動を決行した話、聞いていて、とても興味深かったです。
今回のことは、短いショートパンツで登校している女子生徒に校長先生が服を着替えなさい、と注意して、最終的に、その学年の女子全員を校長室に集めて、「女子は男子を挑発することになるから、膝と太ももの真ん中より上の短さのショートパンツは履いてこないように!」と指導が入ったことから問題が発生していて、注意された女の子が「なんで、女子だけがその対象にされないといけないのか」という、女性差別の意見を言い出し、校長先生と、子供達で、大激論になったようです。
その日の夜、子供達はLINE で、先生に抗議するために、翌日は、男子も、女子も、みんな、ショートパンツを履いていくということが決まり、その抗議行動を行ったわけです。
その抗議行動に対する先生の対応もいろいろで、話を聞いていて素敵な先生に囲まれているんだなーと思いました。
担任の先生は、校長から「ショートパンツが短すぎる子を見つけて、校長室に送るように」と言われていたのだけど、子供達に『I don't care how short your guys pants are..(私は、あなたたちのズボンが短かろうがそんなことはどうでもいいのよ)」と伝え、
大切なことは、抗議運動は何をゴールにしてやるか?ということで、単に反抗することが目的であってはならない、ということを伝えたそうです。そして、そのホームルームの時間に、それぞれ、何をゴールに今回のことをやろうと思っているのか?を考える時間を取ってくれたと。
そして、国語の先生は、この抗議運動での自分の思いについて、それぞれに文章を匿名で書くことを提案して、それを先生がまとめて、全員ぶんの考え、思いをプリントしてシェアする、ということをしてくれたようです。
娘A ちゃんは、皆の考え、思いをプリントアウトした文章で読み、さらに、今回のことについて考えたようでした。そして、ちゃんと向き合ってくれた先生たちに対して、さらに尊敬の気持ちが生まれたと言っていました。
こうやって、子供が反抗すること、疑問に思うことを、ちゃんと成長のステップとして有意義にしてくれた先生たちに感謝でした。