話している言葉に敏感ですか?

自分が話している言葉って、自分の口から出ているのだけど、

『どういう意味でそれを使っているか』

って、結構無意識だったりします。


それは自分もそうであるように、話している相手もそうだったりするのです。

だから、自分がどういうつもりでその言葉を発しているか、また、相手はどういうつもりでその言葉を発しているか?


誰かとコミュニケーションを取ろうと思う時には、『言葉そのもの』と、『それが意味すること』に敏感になる必要があるな、って思っています。


それをしないと、自分も相手の言葉尻だけを捉えて、そして、相手も、自分が発する言葉の相手がそうだと解釈した意味をその意味だと信じて、会話が進んでしまって、伝えたいことは伝わらないし、相手が伝えたいことも自分に伝わってこない、ってことになってしまうんです。


それは、自分と自分のコミュニケーションでも同じで、脳内で繰り広げられる自分の中の会話をちゃんと検証して、『それは、本当にそう?』と、自分で自分の言っていることを確認する必要があるんです。


脳内で、『そんなのどうせ無理よ』って響く時に、反射的に、『やっぱりそうよね、どうせ無理よね』と勝手に進んじゃいそうになるんだけど、そもそも、本当に、それはあなたがそう思っているの?それとも、そう植えつけられただけなの?って確認するような感じです。


私たちは、ピュアーな存在でこの世に生まれて来ているけど、親を中心とした所からの不必要な信じ込みが散々起こって、まるで自分が信じて来たことかのように何かについて『勝手にそう信じている』ということが起こります。


自分が外に発する言葉も、自分の内側に発する言葉も、これは、本当に私が私の信念として思っていることを言っているのか?それはどういう意味で言っているのか?って丁寧に見てあげると、自分の中でのズレや相手とのズレが生じにくくなります。


例えば、『スピリチュアル』っていう言葉、このブログを読んでくださっている方はよく目にする言葉なんかもしれないけど、それだって、ひとそれぞれ、受け取る意味は全く違うんですよね。


人によっては、『なんか怪しいもの』ってとる人もいるし、私のように『誰だってスピリチュアルな存在だ』って認識の人もいる。


だから、誰かと話すときは特に、同じ日本語を話しているとしても、同じ意味でその言葉を使えているのか?そして、自分だって、本当に伝えたい意味で伝えたい言葉を話しているのか?を確認するといいと思います。


私たちはすぐに『だって普通そうだよね!』とか、『みんなそう思ってるし』とかって、自分が主張することをジェネラル化しようと表現してしまうけど、普通って、何?みんなって誰?って聞くと、その先が続かなかったりします。


本当は、全員の意見を聞いたこともないのだから、普通って言葉は使えないのに、本当は、みんなの意見なんか聞いたことないのに(聞いたとしても、数人の友達から意見聞いただけだから)みんななんて言葉使えないのに、そう言ってしまうんですよね。


わかる。

それくらい、自分を正当化したいって気持ちがあるのはわかる。

だって、自分は正しいって言いたいもん。


でも、この些細な表現の端っこのことであっても、真実のことではなくって、そこには『意図』があるんです。

自分を正当化するって意図がね。


相手と、心からのコミュニケーションを図りたいと思うとき、打ち負かすことが、その目的ではなくて、より良い関係になっていくことが、その目的なのだから、相手の優位に立ちたいという『意図』は、邪魔になるだけなのですよね。


そのエネルギーって話していると敏感に感じ取れるので、話しているとどうしても嫌になっちゃうのです。


『何が本当に正しいのか』って、本当にはわからなかったりします。

人の状況によって、その正しさは変わってくるし、今まで常識だと言われていたことが正しいとも限らないことはもう当たり前だし。


『正しさ』にこだわっていると、自分がどんどん頑なになって行って、本来の相手と繋がるためのコミュニケーションが勝ち負けの世界になって行ってしまいます。


今、自分が正しいと思っていることがあったとしても、たとえそれがあるのだとしても、それが本当に真実なのかは誰にもわかりません。


だから、今、目の前のコミュニケーションすることで大切なことって、かち、負けを決めることでも、自分の正しさを証明することでもなくって、

より良い関係になっていくためのもの。


もちろん、何かを決めるってことをやっていく必要が出てくる場合も沢山あって、それであっても、『何が正しいか、そうするべきか』を基準にするのではなくて、お互いのコミュニケーションの中から、全体的により良くなっていくことを、目指している、その全体の一つが話し合っているテーマだったりするのだから、自分の意見を通す事よりも、譲る気持ち、歩み寄る気持ちって大事だなって思います。


なんかね、『ご自愛』、

自分を大切にする、自分を大切に扱ってもらう

って所から、

自分はどうせ価値ある存在だって

わかっているから、

譲ることができる


って感じなのかな。


折れることができる強さ

って感じ。


そのためには、自分で自分とコミュニケーションとって、自分って?って所をどんどんクリアーにしていると、いいと思います。

『あー私は、相手に何かを譲ったからって、価値があるままだ』ってことがわかっていると、しめたものですね


そして、相手だって、価値ある存在なのだから、何を思って何を発しているのか?を本当の意味でわかってあげたいものですね。



逆に、マウンティングする人とかは、自分の価値があるということを自分で感じれていないので、他を下にすることで、価値があると思おうとしている、めんどくさい人です。


マウンティングする時点で、あーこの人、自己価値下げてんなあ、って思います。笑


だから、マウンティングを目的とした会話だとわかったら基本続けたくないし、

それだとわかった瞬間、同じ土俵に立って話すのをやめにします。笑


もちろん、大切な相手なら、真剣に何をやっているのかを話すことはするけど、そうではなかったら、『そうだね、すごいねっ。ニコっ』と同意してあげて、話を終わりにします。


そこでマウンティングする相手をこちらから攻撃する必要もないし、相手を諭す必要もないんです。

それは相手の課題だから。

そして、自分は相手の言葉を受け取らなければいいのです。

そして、立ち去ればいいのです。


そこで、『相手に何か言ってやろう』、相手を負かしたい、って気持ちが湧くとしたら、そこの部分は自分の課題です。


これからの時代はますます、勝ち負けではない価値観で生きた方が進みやすくなると思います。


そして、さっさと自分に価値があることを認めて、愛のあるコミュニケーションをとった方がいい。


自分の中の『誰々より優れている、劣っている』ってアイデアは捨てた方がいいってつくづく思います


だって、みんな違っているし、みんなダメなところあるけど、みんな価値がある♪


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by pineheath | 2017-12-05 17:24 | ホリスティックヘルス | Trackback | Comments(0)
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