何となく、、、を大事にする
2013年 03月 05日
何が食べたいか分らない、
何をやりたいか分らない。
それって、
何を食べるべきか、
何をやるべきか
って事に気をずーーーーっと使ってきたから、だから、そのああ、これ食べたい、とか、ああ、これやりたいっていう感性が鈍ってしまっているのです。
だから、食べる事に関して、直感を使って食べていくようにするには、まずは、
これを食べなきゃいけない、
これを食べてはいけない
を手放さないと始まりませんよー、とお話しします。
何の食べ物だって食べていいんだって、食べる事について解禁したはいいけど、
最初は、体が、ずっと禁止していた食べ物を欲して、欲して、欲して、そればっかり食べてしまうって事が起こるかもしれません。
でも、この時、体は、あなたと信頼関係を取り戻そうとしている時なのです。
本当に、私の事信じてくれるの?私、こんなに辛かったんだから~!!!って、体が我が侭をぶつけてきているとき。
ずっと、言い分を聞いてもらえずに育った子供は、ココロを閉ざして、悪い事ばかりするようになります。じゃあ、親側が、子供のココロに向き合おうと心機一点やり始めるたらどうなるか、子供はすぐにすんなり、心を開いて、素直になるかといったら、そんな事は無い。ココロを閉ざさざるを得なかった時期が長ければ長いだけ、素直になれるまでの時間がかかってくる訳です。
でも、こっちが、信じてあげなければ、始まらない。こっちが、向き合わないと、その関係は、まじらないのです。
体と、自分の関係もまったく同じなのですよね。
体には、ずっと色々訴えがあったのに、それを無視して、いや、この食べ物がいいはず、カロリー低いし。って思って、本当に欲しくない物を食べるって事をやり続けた人の体は、もう、大きな声で「これを食べたいです!」って言わなくなってくるのです。
そして、黙って、あなたが頭で考えた物を受け入れ続けた、、、時に大爆発しながら。
この責任は、あなたにあるのではないって、私は思います。
ダイエットしないといけないという思い込みを持たせる社会がおかしい訳で、
このカロリーはこうだから、お腹がすいた時には、これを食べましょうって、ルールを押し付ける本達が悪い訳で、
食養法に従わないと、健康になれない、『私たちの感覚を信じてはいけない』って思い込ませる健康法が悪い訳で、、、
本当の答えは、体が知っているし、私の中にあるのに、外側の情報の方を信じて、私たちの体を信じてはいけない、食べる事に関しては!! という思い込みを持たせる事が悪い。
最初の体の声は、本当に小さいかもしれないです。
何となく、、、って気がする、ってだけなのかもしれないです。
でも、この、何となく、、、、って気がするって言うのって、それこそが直感が働いている所なのです。
話は変わるけど、トイレ掃除したらお金が貯まるとかっていう説ってありますよね?
それって、なぜかなって考えたら、トイレ掃除をすると、その掃除する人のオーラがきれいになるからだと思うのですよね。
もちろん、きれいになって行くトイレを「気持ちが良いな~」って思いながらすればの話です。
同じ事で、家をスッキリ片付けたり、自分に美味しいフレッシュな食材使って食事作ったり、そういう事ひとつひとつって、自分のオーラを磨いている事なんだなと思う訳です。なんで、そう思うかって言ったら、『何となく、気持ちがよくなって行くから』。いや、きっと、オーラ撮影機があったら、トイレ掃除前と、掃除後は私のオーラの元気がかわっているとおもう。
この、『何となく、、、、』って事って、私たちはあまりにもないがしろにしています。だって、はっきり証明された事とか、目に見える事がずっとに重要視されてきたから。
前に、「だって、なんか、~~~だもん」って言う言葉が私の口癖だと言われて、はじめてそんな口グセがあるって気がついたのだけど、私は、この「なんか、、、」とか、「何となく、、、」というのを大切にしていたなと思う訳です。
そして、この何となく、、、を大切にしていくと、自分のエネルギーがいつアップして、いつ下がってって事がよく分るようになってきます。
仕事に一所懸命になってると、ついつい家を整えるのが後回しになっていたり、トイレ掃除を一週間できていなかったりしてしまいます。そうなってくると、なんか、自分自身の気が散漫になってくる。この現実的な事象は分っていたけど、それがなんなのかって事が分ってなかった。
「これをやると何となく気持ちがよくなる」って言う事が、オーラを磨いている事なんだって感覚として分って、その自分のエネルギーが上がるのを感じるようになってからは、日常の事にもっと気を使おうって言う気になりました。だって、エネルギーが上がった状態の方が仕事だってはかどりますから♪
前までは、お金の流れが良くなるために、トイレを磨こうとか、家はきれいな方がいいから整えようとかって、『感覚』ではなく(きっと感じてはいたのだけど)『意識』を持ってやっていたという事が多かったように思います。
でも、自分のエネルギーが気持ちよくなる(オーラが磨かれる感覚)が分るようになったら、つまり、その『感覚があるという事を意識』しはじめたら、
「ああ~だから、お寺では小僧さん達に色々磨かせる訳ねー」って、深く納得して(笑)エネルギーが上がる『やった方がいいという意識じゃない感覚の気持ちいい状態』のために「あー掃除しよっ♪掃除したい♪」となれています。
話は、あちこち飛んでいるけど、言いたい事は、すべての事は、この「何となく、、、」を大切にするって所なのかな、と。
そして、この「何となく、、、、」を大切にするためには、「何となく、、、」を感じてあげようとしないといけない訳です。その為には、頭でっかちでは、感じれない。その声は小さかったりすると思う。(もちろん大きく聞こえるという人はそれでバッチシですがね。)
「何となく、、、」が分らないという人は、当たり前と頭で意識していた事を、止めてみるのも手だと思います。ゼロに戻して、じゃあ、しないとどんな感じがするか?するとどんな感じがするかって「何となく、こう感じる」を感じはじめてあげたらいいと思います♪