なんか疲れた−って思うとき。

自分の中心がちゃんとワクワクしているかって事に忠実であればある程、ワクワクしていないこと、求めてないことを自分が選択した時の,沸き起こる苦しさが強いです。

それは、一見そうだからだとは気づかない形で、最初は、感じるのかもしれないけど、「なんか、疲れた」「なんか、もう嫌だーっ」て感じになる,なんか、なんか、なんか、、,って気持ちを突き詰めて掘り下げていくと、その状況に自分がいる事になった『相手』が悪いのではなくて、あくまで、自分が自分である事を選択しなかったからだって気がつきます。

そこに気がつくまでは、「相手が〇〇で私はしんどかった」「この状況が〇〇で私はしんどかった」って、相手や状況を悪者にしているし、その時に、その相手の顔を思い浮かべたら、オエッと来てしまう感じがするんですけど、自分がそんな感情になった原因は、自分である。自分がただ、自分でいる事を自分にしてあげなかったからだって事がクリアーに分ると、そして、それが自分の課題なんだって事が分ると、『相手』は単なる自分のその部分を引き出した『相手』でしかなくなります。恨みとか、嫌だとか言う感情がなくなります。

でも、これ、普段から、自分のワクワクに焦点をあててない人、自分がどう感じているかに鈍感でいようとしている人は、自分が自分じゃない事になれてしまってるので、疲れたな、、、位で、済ませて、それが積もり積もっていって、精神の不調とか、体の不調に繋がっていきますよね。

疲れって面白いですよね。自分が自分の生きたい魂の道を生きていたら、そして、大切にしたい、自分の中で大切な得たい感覚を得るように活動できていたら、肉体的にすごく使ったとしても、それは、良い疲れを感じるだけ。でも、自分が自分からずれてしまってると、本当に体が疲れている、居ないに関わらず、何もやる気が起きないような、どーっと疲れを感じるんですよね。
体は本当に正直です。

楽しくないなーってどこかで思っていても、「ま、しょうがないな、、、」で片付ける事が多くなってしまっているなら、自分のエネルギーが、どんどん低くなっている事に気がついてください。
心を鈍感にして、それは感じなくて楽かもしれないけど、体はそういつまでも黙っていてくれません。体に不調が始まっているなら、それは、どんな心の声を殺して生きているんでしょう?

心が何を隠しているか,を探すのは、結構大変だけど、私は何にワクワクするか?を探してみると良いです。そして、そのワクワクするだろう事を、忠実にやってみる。自分のエネルギーが上がる事をやってみるんです。そのワクワクは一歩先にあるワクワクで構わなくて、大きなワクワクするプロジェクトを思いつく必要もない。これ、ワクワクするかも!って思う事をやってみて、何を,どんな感覚を得たくて、その事をやったのか、考えてみてください。

鈍く生きるのも勝手だけど、私は、自分に忠実に生きたい。その時にできる自分の行動と、自分の感情が、自分にはやっぱりエキサイティングで、それに添った行き方をしてしまうと、もう、元には戻れないのかな、って思います。だって、ずれると、めっちゃ苦しいもん!
by pineheath | 2015-10-01 23:06 | 自己実現 | Trackback | Comments(0)
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