クオちゃんの死と。

くおちゃんの死と。

LAに無事着きました。以下、飛行機の中でかいた文章、前を向いて進むために、ブログにアップしようとおもいます。
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飛行機の中でかいています。書いて向き合うことしか、今の私にはできないから。

成田からアメリカに向かう飛行機に搭乗する直前に、くおちゃんが、車に引かれて死んじゃったというメールが届きました。

一瞬、その文字だけが流れてきたのが見えて、意味は理解して、でも、何にも、本当に、何にも感じれなかった。

そして、一瞬遅れて、どこで引かれちゃったんだろう?誰がみつけたんだろう?今、死んじゃってどうなってるんだろう、、、って、現実的な事が頭をめぐり、その後から、くおちゃんが、しんじゃったんだ。。。って、どうして、死んじゃったんだろう。なんで、今日、この時に死んじゃったんだろう、って、意味を考えて、そして、やっと、その後、あの、くおちゃんの、温もりを、もう感じる事が出来ないんだと、喪失感がやってきて、涙が止まらなくなりました。

くおは、生後2ヶ月くらいの時に、今はアメリカに住む前の夫との子ども達と一緒に拾った猫です。
だから、私にとって、くおちゃんは、どこか、子供達の変わりに私の所に居てくれているような、そんな感覚をもっていました。

くおちゃんとの出会いは、その子供達と別れて住み始めて、しばらく経ってから、やっと、その3人とと一緒にいることができた貴重な時に、みんなでいっしょに散歩していたら、茂みから私たちめがけてミャーミャー近寄ってきたことでした。

私は元々猫派では無く犬派だったので、最初のくおちゃん見た時の感想は、えーどうしよう、、、困ったなあ、でした。その時住んでいたのは、賃貸の所だったし、猫なんて、飼えないよ〜猫好きじゃないし、、、って思ったのです。

でも、実は、そのちょっと前に、子供達を喜ばせようと、子犬を飼えないかと、ドックブリーダーさんの所に見学に行ったりしてて、ペットを飼うって事、真剣に考えていたのです。でも、実現に至れずにいたものだから、この猫ちゃんは、そんな私の事知ってて、私のために、そして子供達のためにやって来てくれたんだな、っておもったのでした。
で、このまま炎天下に置いていたら死んでしまうこと間違いない位か弱い感じだったこともあって、よし、じゃあ、ちゃんと野良で生きて行けるまでの保護だね。って、自分を納得させて、家に連れて帰ることに。
子供達は、もう、その時から、その小さな命に夢中になりました。一緒に獣医さんに連れて行って、とりあえずの予防接種とか、ノミ取りとかして。
目の色が青だったから、毛の色くろと目のあおを合わせて、「くお」とAちゃんが名付けました。なんだか、小汚いし、猫になれていなかった私は、ほとんど触ることも無く、というか、子供達が献身的に世話してて、私は出る幕がない感じでした。

結局、子供達は、1週間位しか一緒に過ごせず、私の元には、くおちゃんだけが残って、残ったはいいけど、子供達が世話していたから、わたしはどうしたらいいのか、どう触ったら良いのかよく分からないまま、でも、子供達があんなに大切にしていたんだから大切にしないと、、、って気持ちだけは強くって、子供達がやっていた事を思い出して、ミルクを哺乳瓶であげたりして、お世話を、怖る、怖るし始めたのでした。

初めて囲いの段ボールから出してあげて、部屋の中を自由に歩かせた時は、くおちゃん自身、世界はこんなに広いのかって感じで、おっかなびっくりだったなー。
みこっちゃんがその時5ヶ月位で、なんだか、二人(というか、一匹と一人)は、一緒に赤ちゃんで、つかず離れずで気にし合う姿が何とも可愛くって。気がつけば、すっかり、家族の一員になってるくおちゃんだった。夫も、色んなことを飲み込んで、くおちゃんのお世話、私以上に献身的にやってくれるように。

その後、引っ越しがあって、一軒家になって、周りを気にして家から出さないってことはやめにして、外にも出すようになって。不妊手術して。

くおちゃん、外の世界が楽しくて楽しくてって感じで、夜お出かけしては、朝誇らしげに獲物持って帰ってきたり。それでも、お家はここって感じで、夜いないけど、日中は私の目につくところでゴロゴロしてる時がおおかった。わたしも、くおが見えないと、何だか落ち着かなくって、帰ってくるとホッとして。家族で散歩する時は、どこからともなく現れて、一緒に付いてきたりしてたな。
近くのお茶屋さんにお茶しに行ったら、その店先で私たちがお茶し終わるの待ってて、一緒に帰ってきたり。犬みたいなところもある猫でした。

でも、ここ数週間だか、1ヶ月だか、彼女は、どんどん自立してる感じがしてた。
体もすっかり大人になって、華奢さがなくなって、ご飯こそ少し食べに帰ってくるけど、また、すぐに出て行って。夜も少しは居るけど、また、すぐに遊びに出ちゃう感じだった。くおちゃん、大人になったなーって、私も何と無くおもってた。

今回、出発するにあたって、家を出る時くおちゃんの姿は見えなくて、くおちゃんのお世話もお願いします〜って、言ってくるの忘れたなーなんて、ぼんやり思ったりしてた。



IH の講習会にアメリカに行くにあたり、3人の子供達に会いに行くかって事は、私にとって、ずーっと頭を悩ませている事でした。
元夫と会話が出来ていないこの状態で、子供達に会おうとするなら、ひっそりと勝手に会いに行くしかありません。彼がどう思おうと、子供達に会いたいって気持ちで、もう、それをしてしまおうかと、ギリギリの所までいっていました。でも、どうにも、モヤモヤしてて、そうできず。
こんな、両親が仲違いしている状態で子供達は、私に会って、それは嬉しさもあるかもだろうけど、大好きなパパの手前ものすごく苦しくもあるだろうなって、おもって。
それに、風の噂では、みんな良く頑張っているらしく、もちろん、そうなるよう、元夫が父子家庭として一生懸命やっている訳で、それを、そんな風な形で、私が元夫の許可なく、勝手に彼らに会うのって、彼の事を全然顧みてないことだよなって、、。もう、これ以上関係を悪くすることをやる事って違うんじゃないかと。
子供達に会いたいけど、私は14年一緒に生きてきていた元夫と絶交状態をなんとかしないと、子供達にとっては結局苦しいだけなのだろうなって、そう考えたのでした。
私の子供でもあるんだから、会いたいから、会う!って執着を手放す必要がありました。
それでも、
この決断をしてみても、本当にアメリカ行くのに会わないのか、、、って、また本当にそれでいいのかって感情が押し寄せる時もありました。その時タロットカードをひいて、これは自分のエゴが強すぎてうまく読めず、お友達ののりえちゃんが一緒に読んでくれました。(彼女がタロットからうけるインスピレーションには、本当に助けられてきたな。)
そして、それとともにオラクルカードも引きました。


どうやら、子供への執着を手放すって事がやはり私の課題のようです。そして、それには、信じているって事がとても根幹になってくる事なのだなって。それが出来るくらい、私は成長しないといけないって。
今は、まだそこへの道が見えないけど、どうにか元夫と和解して、共に子供達の笑顔を見れる時が来る事を信じる。

そこまでの結論になって、子供達への執着を手放し出発したアメリカ行きの旅。飛行機に乗る直前のくおちゃんの死。

くおちゃん、今まで私の支えになってくれてたんだなーと思いました。子供達への執着に苦しむ私に、大丈夫、ちゃんといるから〜って、いつともなしに寄ってきて。きっと、くおちゃんは、わたしが、子供達に執着しないで生きる事を決めたと知って役目が終わったって事がわかって、あっちの世界に行ったんだと思います。

役目が終わったからといって、行かないでほしかったなー。まだ、いてほしかったなー。

くおちゃんが、ただ、あっち側に行っただけなんだって、肉体をもってここにいないだけなんだって事は感覚として分かってて。死って事が悪い事って言うのは、正しくなくって、誰しも必ずあっち側に行く訳で。
それは、わかっているけど、同じくこっち側にいない事って、触れられない事ってやっぱりものすごく寂しいんだなーって、改めて思いました。

だったら、同じこっち側にいる時にどうして、いがみ合ったり、憎しみあったりする必要があるんだろう。せめて、こっち側にいる者同士は仲良くしたいものだなーって。またおもって。

くおちゃん、たくさんの癒しと、学びを与えてくれて本当にありがとう。あなたが私の元に居てくれた1年ちょっとで、やっと、ここまでの気持ちになることが出来ました。

安らかにね、くおちゃん。
by pineheath | 2015-10-29 14:21 | 子供のこと

自分の信じこみを書き換えて、欲しい現実を生きる方法♡


by Keiko
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