自己責任と幼児性

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今日は、午前中のカウンセリングセッションでも午後のIHセッションでも自己責任とか、コミットすることに関する話が出てきたり、私の中でもそこにまつわる出来事があったりたので、ちょっとそこら辺について書いてみたいと思います。


自分が関わることに対して、自分が責任を持つと言うコミットをしていない状態のまま、なんとなく関わり、なんとなくやり過ごして、


その時に、何か問題が起こったとして、


そういう流れで進んでいた場合、人は、「その責任を自分が請け負います!!!」という能動的な気持ちになるよりも、


「誰か、何かのせいでそうなった!」と外側に責任を押し付けようとしてしまいます。


これって、誰かのせいで~とか、何々のせいで~~と外側に文句を言っている限り、自分に向き合う必要はないので、楽なのです。


で、それをやってしまうの事の発端を突き詰めて行くと、それは、自分がそのことに責任を持つってコミットしていないのに、それに関わっている、要は、自分が自分の内側に軸を持たない状態で、それをしてしまっていることに行き着くのですよね。


何かをする、と決めたのなら、それを自分が自分の責任でやるって決めていること、そうすると、能動的に物事に対処して、自分の頭を働かせることになるのです。


最初は、母親との関係が発端だったりするけど、自分が幸せではないことを誰かのせいにして生きる癖がついてしまうと、

自分の幸せのためには絶対必要になってくる、『自分で自分の幸せの責任を取る』ってことを、誰かに預けてしまうことになる。

で、それによって、ますます幸せの循環とは、反対方向に回路を回しているもんだから、こんなはずじゃない、って人生が続いて、それを、誰かのせいにする、外側のせいにするという『逃げの思考』から抜けられないまま、ますます、上手くいかないことへの怒りを外側に募らせることになって行く。


もちろん、無力な子供の自分をコントロールして、自主性を奪ってしまったのは、そもそも母親を中心とする人だったりするんだけど、それに対して、復讐するために自分がさらに不幸せな循環を回し続ける、復讐の人生になる、というのは、本当にもったいないことだと思います。


最初、何があったとしても、どんなに辛い子供時代だったとしても、その時のせいで、私は~~と言い続ける人生にするのか、

今、大人になった自分として、自分の人生の幸せの責任を自分が取ると決めるのか(過去から受け持ったお荷物を持ったままであっても)


その選択権は、いつだって自分が持っているんです。


私には5人の子供がいるのだけど、子育てで大事だなって思っていることって、『どうしたい?』ってその子の自主性を尊重してあげることだなって思っています。

その本人の意思で選択したことが、失敗と思えることに終わっても、そんなことは関係ない。だって、道の過程で、失敗はつきものだし、そんな中からしか、人は学べないから。

で、その時に、失敗した悲しみは一緒に受け止めてあげるけども、解決をしていくには?って所を模索させることが大事かなって思っています。

模索して解決していくってところは、考え方の部分が大きいので、ネガティブになりそうだったら、励まし、学びは何なのか?ってポジティブな側面に焦点を当てるサポートをしていく。


自分でやってみて、失敗しながらでも、進んでいく、その自己責任で物事をやる練習ができていると、『失敗しても、また立ち上がれる』というところに自信がついてくるので、力強くなってきます。


自己責任で物事がやれるかどうかって自己信頼とつながってくるし、それには自分の幼児性と対峙できていないといけないのかなって思っています。


幼児性が強いと、自分で決定せずに誰かの責任の元で生きようとする。そして、その時の不具合を相手にぶつける思考になってしまうのですね。自分の幸せの責任を自分が取らない思考になるのです。

それはある意味楽、だって、誰かのせいにしておけばいいのだから、でも、本当の意味での幸せにはなれないのです。

だって、まず、自由ではないから、誰かに頼ることで生きるって構図が潜在意識的に生まれているので、どうしても枠が狭くなる、自分が枠を取っ払って、本当に自由にできるのだったら、どうしたい?って思考を元に生きることをしなくって、まず、頼るべき誰かの存在の枠の中で自分のまあまあの幸せを獲得しようとしてしまうのですね。

そして、『頼って当たり前』の思考がどこかにあるので、自分の尻拭いを誰かにさせることに対して、違和感を感じないのですね。


今日の午前中のセッションは、自分メンテ養成の一コマのカウンセリングセッションだったのだけど、その中で「自分にとって嫌だと思うことはなんですか?」という質問をしていて、その時に、彼女が「自己責任が取れていないやり方をする人だ」って言っていました。

彼女はとても自立している、素敵な方で、自分が精神的に自立すれば自立するほど、上に書いた幼児性の高い人に対して、それ違うでしょ!って違和感を感じるようになるのですよね。


あ、で、ここでちょっとお話ししていたことの中に、それってジャッジに当たるのか?って話をしたのですが、『自分とはどんな存在でありたいのか』という、自分のこうありたいという姿、自分の美学に反したことに対することとして、違和感を感じたり、嫌悪感を生じる、ということは、自分の中に、その要素があったら、自分が嫌だと思うことなので、ちゃんと、ノーをいう必要があることなのですね。

「何かをジャッジするのは良くない」って言葉があったりするけど、それっていうのは、自分の成長を妨げるような、不必要な信じ込みから来る批判のことなのです。

だから、何かに対して、モヤっとした感情が湧いたからといって、それは、自分が不必要な信じ込みを持っていることの証拠とは限らないのだよーって話をしていました。両方あるってことなんですね。

不必要な信じ込みを手放すタイミングに来ていて、何かに対して、モヤモヤするのか、それとも、自分の美学に反しているからそういうのは嫌だ!って反応をしているのか、結構見極めが難しいと思うけど、前者の場合は、モヤモヤしつつもなんか気になる、、、って感じがする傾向があるかなって思います。そして、後者の場合は、そこに嫌悪感に近い感情がわくなって思います。


さてさて、話を戻すと、


自分の幼児性と対峙して、自立して、それによって何より大切な自己信頼が生まれてきて、自己責任で物事に対して向き合えるようになる、

だから、自分がやると決めることは=自分がやりたいことだと、自己責任を取る覚悟がつくことなので、自分がそれをやるんだ!って自分を軸に言うことができる、って流れなのかな、それか、それらは同時に成長することなのかなって思います〜。


今では、自分の幸せの責任を自分で取ることを決めて生きている私ですが、こんな過去もあったなあ(今では、過去生のように感じる話ですが


こんな記事も書いたなあ。(今ではまたシステム変更があったので、このシステムで回してはいないのですがね♪)





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by pineheath | 2018-02-18 04:24 | 自己実現 | Trackback | Comments(0)
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