自己愛は自己中なのか?
2019年 05月 03日
さて、ゴールデンウィーク、みなさんいかがお過ごしですか?
今日はKeikoデーなので、仕事を入れてて、朝のうちに1件、午後に1件入ってました。
お昼休憩も取れなかったので、今、カフェオレとお昼を取りながら、やっと自分時間を取ってます♪
私は、人とずーっと一緒というのが得意じゃないので、こういう一人でブログに向かう時間とか、ノートに向かう時間、とか、読書する時間とかが本当に必要だったりします。ゴールデンウィークは、子供とずっと一緒ってわかっていたので、最初から3日はKeikoデーにさせてね。と頼んでおきました。笑
今日自分時間をとって明日からまたワッチャワッチャな時間に向き合いますっ!!
ということで、今日は今から、
ブログ書いて、メルマガ書いたら読書タイムにします♪
本は、ノートに書き写したりしながらじっくり読むのでなかなか進まなかったりして、読みたい本が溜まる一方。
なので、隙間時間にでも、あ~本が読める♪って思うと、幸せ~~が沸き起こりますね。
読書の何がいいって、気づきが起こること。
深いところで反応して、それが何かの答えだったりすること。
外からの情報入れる必要ないんだ、って情報の断捨離が必要だっていう人もいるかと思うけど、私は、読書って、自分の内側がどう反応するか?を見ていくためのものだと思っています。
自分が反応する言葉、それはなんでか?を見ていく、自分を知るためのツールの一つだなって思います。
そんな読書の中で、明確に言葉にならなかったことの答えがもらえました。
それは、
『自己愛は自己中なのか?』という問い。
「お自愛ブームだけど、自分を大切にすると、自己中になってしまいそうで嫌だ」って言ってたクライアントさんが居て、
『お自愛と自己中は違うよねー!』と、感覚的には思うのだけど、明確に説明できなかったのです。
そのことに関係することが、
「愛するということ」の本の中に、書いてあって、これだー!!って思ったのでシェア。
どういうことが書いてあったかというと、
人を愛する、という時に、他人も自分も分け隔てしない、これが本当に愛する能力がある人がすることなのだ、と。
だから本当の自己愛って自分も他人も大きな意味で自分なんだという観点で愛することなのだ、と。
でも、幼児がナルシストなのは成長の段階として当然なのだけど、後になってナルシズム段階に戻ってしまった人は、人を愛することができない。その能力がない、と。
そういう人は、自分自身にしか、関心がなく、なんでも自分のものにしたがり、与えることに喜びを感じず、もらうことにしか喜びを感じない。つまり、利己的な人になる、と。
利己的な人は外から何を得られるか?という観点でしか見ないで、他人の欲求とか、尊厳とか個性とかに対する畏敬の念ももたない。
と。
~~~~~~
愛することって、その人がどれくらい成熟しているのか?が究極に問われるのだと思います。
人が癒されている段階って、
マイナス状態(癒されていない、自己否定バリバリ段階)から
0に戻った段階から
プラス状態(自分はこのままでオッケイと思えてる、癒されている段階)
って、移行するなって思うけど、(そう直線的ではなく、行ったり来たりのところはもちろんある)
このマイナス状態の人がやっているつもりの『ご自愛』は本当の意味ではご自愛になっていないのだろうな、と思います。なぜなら、本心のところで、自分を愛しているどころか、否定しまくっているから。
だから、ご自愛のつもりが、結局は利己主義になってしまうのだろうな、と。
でも、プラス状態の段階に入った人がご自愛する時には、自分も愛し、人も愛する。自分も認めて、人も認めるが自然にできている上でのご自愛なのですよね。
マイナス状態の人が逆にいくら『人のため』と頑張って見たところで、それは、『自分が認められるため』だったり、『自己犠牲の上に人のため』があったり、本当の意味でその人を愛することができて居ない。
やはり、マイナス状態を抜けていくしか自分や人を幸せにする道はないのかな、と思って居ます。
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